はじめまして、りっちです。
関西在住の20代で、会社員をしています。
この記事では、私のプロフィールと、ブログの理念について、
私の過去の経験をもとにお話していこうと思います。
長くなるので先にお伝えしておくと、
・なぜ私が適応障害になって自信を失ってしまったか
・適応障害から立ち直りボディメイクで自信を取り戻した話
というお話。
突然ですが、ボディメイクで人生が変わった私の最近の日常はこんな感じです。
✓自分に自信がつき、自分は自分、他人は他人と考える
✓他人からどう思われているかは全く気にせず、自分のやりたいことを思いっきり楽しむ
✓62㎏→46㎏まで痩せた結果、ファッションの楽しさを知りスキニーやミニスカートが履けるようになる
✓運動することが苦にならず、楽しんでジムに通ってしまう運動ジャンキー状態
✓食べて痩せる方法を知り、好きなものはしっかり食べ、その分動いてストレス発散
✓女性としての自信がつき、恋人との関係が改善される
✓心に余裕ができて、他人に対してイライラしたり怒ったりすることに時間を使わない
✓人生が退屈だと思う暇がない
などなど。
ボディメイクを始めて自分に自信がついたら、これが当たり前になって、
めちゃくちゃ生きやすくなりました。
ボディメイクを始める前の私からは想像できないような、
おだやかで、健康的で、充実した生活を送れています。
私は元々、ずーっとぽっちゃり体型で、小中高大どの時期も、痩せていたことがありませんでした。
体型、特に太い脚に対するコンプレックスを持ち続け、常に足を隠すような格好をして生きてきました。
しかし、適応障害になったことをきっかけに、どうしても自分を変えたくて
ダイエット・ボディメイクにチャレンジしてみた結果、メンタルやマインドまで改善されて、今のような健康的で充実した毎日があります。
私は適応障害という大きな挫折を経験して、
人生は考え方次第で楽しくも、苦しくもなるということを学びました。
そして、すべて自分次第であるということも。
この経験から、私のように精神疾患で苦しんだり、体型コンプレックスで悩んだりする人の人生が少しでも豊かで楽しくなってほしい!という思いが生まれ、情報発信をするようになりました。
このブログでは、以下のようなことを伝えていきます。
✓人生を楽しむ考え方のコツ
✓退屈な人生を自分の力で変えていく方法
✓着たい服をバッチリ着られるようになるボディメイク術
✓自分に自信を持つための方法・考え方
私のブログを読んで、勇気づけられたり、人生頑張ってみようかな、楽しんでみようかなと思ってくれる人が一人でもいれば、本当にうれしく思います。
では、ここからは私が適応障害になってしまった経緯と、ボディメイクとの出会いについて物語形式でお話していきます。
私のプロフィールと適応障害になった経緯
私はもともと海外が大好きで、高校生のころから市の海外留学制度に応募して、ビュンと海外に飛んで行ってしまうような、活発なタイプでした。
大学時代にヨーロッパへの海外留学も経験しており、これまで訪問した国は計20か国以上。
今でも長期休みには毎回海外旅行に行っているほど旅行が大好きで、わりと行動的に、人生を歩んできました。
また、新しい環境に身を置いて、新しい扉を開くことに興味があり、大学時代にはいろいろなアルバイトを経験しました。
居酒屋、料亭、イベントスタッフ、ティッシュ配り、大学生協、ユニクロ、雀荘等々・・・
特に印象深かったのは、繁華街のクラブラウンジでのアルバイト。
大学卒業直前で、営業職に就くことが決まっていたので
「上手に話ができるようになりたい!」
そんな思いで夜の世界に飛び込みました。
そこで出会ったのは年商数億の社長さん、その取引先の方(当然儲かっている)、社長さんたちを上手に引き立てるママ、女の子たちの魅力を引き出してくれるチーママ、場を盛りあげることに長けたかわいい女の子たち。
ただの大学生だった私にとっては、ものすごくキラキラしていて、新鮮な世界でした。
最初こそ立ち回りがわからなかったものの、少しずつ仕事を覚えていくと、だんだんと自分のお客さんがつくようになって、連絡するとお店に来てくれるようになって、自分自身の成長も感じられて・・・
毎日が本当に刺激的で、楽しかったです。
そして大学卒業後、2018年に大手メーカーに入社。
東京で営業職として働き始めます。
新しい環境が好きだった私にとっては、新しい職場、新しい仕事、新しい人間関係、
すべてが新鮮で、充実した日々に感じられました。
私のお世話係としてついてくれたのは、4つ上の気のいい先輩。
けらけらとよく笑う、仕事のできる先輩で、関係はすごくうまくいっていました。
先輩とともにお客さんの所へ行き、営業トークをバンバンして、契約をとってくる。
その頃は、ビジネスマンとして働く自分に誇りを持ち始めていたし、この会社で成長したい!という思いもありました。
仕事はかなり忙しかったけれど、二人三脚で、毎日成長を感じながら忙しく過ごしていました。
しかしそんな日常が半年ほど続いたある日、衝撃的なことが起きました。
一緒に仕事をしていた先輩の、突然の退職。
理由は転職でした。
その時は本当に信じられなかった、というよりも状況が理解できませんでした。
「これから私一人でどうやって仕事していけばいいの?」
半年間、2人でかなり密接にやってきていました。
これからが、不安で不安でたまりませんでした。
そもそも忙しい部署だったうえ、ほかに誰かをすぐに雇うこともできない。
問答不要で、先輩が持っていた仕事は全て私に引き継がれました。
不安でいっぱいな状況の中でしたが、責任感が強かった私は、もちろん断ることも、できないとも言えず。
この時私は、まだ入社1年目のただの女子社員。
私自身は誇りを持って働いていたものの、ちゃんと働き始めてからまだ半年も経っていないぺーぺーでした。
それでも、私は頑張ろうと思っていました。
頑張っている自分が好きだったし、仕事が楽しいと思っていたから。
それからの私は、無我夢中で仕事に取り組みました。
お客さんに呼ばれたら何時でも飛んで行ったし、飲み会も、深夜残業も、休日出勤も。
遠距離だった彼氏に2ヶ月ぶりに会う予定をキャンセルして、海外出張に飛んで行ったこともあります。
でも、責任感の強かった私は、それらを「いやだな」と思う暇もなく。
「やらなければ」という一心の思いに突き動かされていました。
営業として仕事をしていくうえで、やっぱり重要になるのはお客さんとの「過去の経緯」
それらは全て、先輩が教えてくれていた情報でした。
しかし、先輩がいなくなった後、過去の経緯を確認するには、その上の上司に聞くほかありません。
そのため、その上司に話を聞く機会や、2人で行動することが増えていきました。
ただ、上司と仕事をする中では、いつも何となく違和感を感じていました。
「この人営業なのに私と雑談ってしないんだな」
「感情があんまり見えない・・・」
「なんか機嫌悪そうだから、話しかけないでおこう」
そう思うことが多く、なぜか最初からスムーズにコミュニケーションが取れませんでした。
その上司は、先輩がいなくなった後も私のことを助けようとはしませんでした。
新入社員の私が質問しても、その質問にだるそうに答えるのみ。
私には、「そんなこともわからないの?」と言いたげに見えました。
他に営業トークに使えそうな情報や、仕事の進め方を教えてくれることもなく。
上司「お客さんへの説明資料できてる?」
私「いや、まだです…あんまり進め方わからなくて」
上司「え?いやもう遅いでしょ。」
私「すみません、すぐやります」
「やります」と言ったって、やったことないんだから私にはわからない。
でも、上司にはなんか聞きづらい。
そんなこともわからないのかと怒られるかも。
話しかけたくない・・・
だんだんとそんな思いが出てくるようになりました。
その上司にとって重要だったのは、「私が仕事ができたかどうか」だけ。
私を成長させようとは思ってなかったと思います。
そんな状況だったから、私はとにかく「仕事ができるようにならなければ」と強く思っていました。
上司に怒られるようなことはできない。
上司に「そんなこともわかってないできないヤツ」と思われたくない。
「自分がしっかりしなければ。」
それに、その上司が私にとっての初めての上司でした。
だから、「普通」がわからなかったのです。
上司はそんなに簡単に助けてくれる存在ではない、私は一人でできるようにならなきゃいけないんだと思っていました。
あの頃の私は、右も左もわからない中、必死にもがいていました。
そんな中でしばらく仕事を続けていると、その上司に対する違和感はどんどん大きくなり、それはついに恐怖心に変わっていきました。
「上司の顔を見たくない」
「仕事をしたくない」
「好きだった海外出張に行きたくない」
それでも繰り返される日常。
毎日の激務。残業。出張。
上司に聞くしかないシチュエーション。
だんだんと、精神的につらくなってきているのはわかっていました。
私はそれでも、仕事ができるようにならなければならないと思っていました。
みんなこんなにしんどい思いをしながら生きてるんだ、社会人ってすごいなと。
駅へ向かうサラリーマンたちの群れを見ながら、自分の気持ちを、他人事のように考えていました。
その後も上司との関係に改善は見られず、
上司に質問する時は、ものすごく緊張して、質問の準備に何時間もかかってしまったり
朝、上司が出勤してきたときは、私の席の後ろを通るだけで心臓がバクバクするようになりました。
でもそれでも、みんなこんなにしんどい思いをして社会人として仕事してるんだと思っていたんです。
みんな頑張ってるから、私も同じように頑張らなきゃ。
責任感だけが、私を支えていました。
そんな風に毎日を過ごしていると、気づかないうちにだんだん体に支障が出るようになってきて。
朝まで眠れず、毎日必ず4時に目が覚めるようになったり
毎晩お酒を飲むようになったり
食欲がなくなったり
部屋を片付けられなくなったり。
極めつけは、涙が止まらなくなっていました。
何で泣いているのかわからないけれど、とにかく涙が出る。
涙が出るのは、最初は家でだけ起こる現象でした。
ベッドに入って今から寝ようかなってときに、急に涙が出てくる。
おかしいなとは思いつつ、そんな状況を無視していたんです。
そんな日常が1ヶ月ほど続きました。
そしてある日、ついに通勤途中の東京駅のホームで涙が止まらなくなりました。
あの日のことは本当によく覚えています。
「あれ、今まで家でしか泣かなかったのに」
「なんか・・・会社しんどいかも」
「もう無理かも。しんどい、しんどい、しんどい・・・!」
駅のホームで職場に向かう大量のサラリーマンを見ながら、
自分の「職場がしんどい」と思っている、その気持ちにここで初めて気づいてしまったのです。
「あー私は会社に行きたくないんだな」
「本当は上司の顔も見たくないんだな」
「でも会社にはいかなきゃ、あの仕事をしなきゃ。私しかいない」
責任感が強すぎました。
その日もちゃんと、泣きながら会社に行って、何事もなかったかのように仕事をして、帰宅。
しんどい思いを打ち明けられる関係の人は、職場にはいませんでした。
その日からは、自分の異変に気づいて、このしんどい気持ちをどうしたらいいのか、少しだけ考えるようになりました。
次の日も泣きながら会社に行って。
職場では何事もなかったかのようにふるまうしかありませんでした。
でも、自分の気持ちに気づいてしまった後だからやっぱり心はめちゃくちゃ苦しくて。
なにをしてても集中できない。
涙が勝手に出てくる。
上司とうまく話せない。
仕事にならない。
これはもうだめだ。
そう思った私は仕事をストップし、藁にもすがる思いで、会社のなんでも相談室のようなところを尋ねました。
カウンセラーの方は私を温かく受け入れてくれて、私の話を親身になって聞いてくれました。
「上司が助けてくれないんですね」
「そんな風に辛い思いをしているんですね…」
「新入社員なのにそんなに仕事を任されて大変だったでしょう」
カウンセラーの共感の言葉には、びっくりするほど救われました。
大泣きしながら自分の話をした後、カウンセラーの方は私にこう言いました。
「明日から仕事を休みましょう。メンタルクリニックに行って、お医者さんに診断してもらわないといけないけど、あなたは適応障害です。」
「障害・・・?」
「私が障害者ってこと?」
信じられませんでした。
ここまで健康に元気に生きてきた自分が「障害を持つ」ということが。
ただ、私のメンタルはその時すでに崩壊状態。
カウンセラーに話をしたことで、自分が思っていること、感じていることがさらに浮き彫りになって、明日から仕事なんてできないと感じるようになっていました。
「りっちさんが明日から会社をお休みすることを、わたしから部署の一番上の上司の方に伝えておきますね。
休むこともりっちさんからは上司の方に言わなくても大丈夫です。りっちさんは何も気にせず、明日からおうちでゆっくり休んでください。」
私はカウンセラーの言うとおりにしよう、今の私にはそれしかできないと思いました。
これが、私が適応障害になった経緯です。
上司との関係に悩み、激務の中で心が疲弊していったことが原因でした。
本人は、心が疲弊して、体に支障が出るまでなかなか気づかない。これが現実だと思います。
そしてこの経験の中で、私は完全に元気と自信を失いました。
「なぜ私はうまくできなかったのだろう」
「私はどう考えるべきだったの?」
「これからまた、以前の私のように生きていけるとは思えない」
「生きていく自信がない、これからどうしよう」
その日私は、職場に何も言わないまま帰宅して、休職期間に入りました。
メンタルクリニックに行って、お医者さんに診断をしてもらった結果、
やはり「適応障害」だと。「抑うつ状態」だとも言われました。
休職当初は「休む」ということが上手くできませんでした。
なぜなら、今まで馬車馬のように働いていたから。
毎日何か生産的なことをしなければ、という思いに駆られて外に出たり、わざわざ友達と会ったり、仕事の勉強をしたりしていました。
もちろん、頭の中は「どうすべきだったのか?」「これからどうするべき?」そんな思考と不安でパンパン。
そんな状況をカウンセラーの方にメールで伝えると、
「りっちさんは頭でいろいろ考えすぎて疲弊しているんだと思います。
それに自分に厳しすぎますね。
今のりっちさんは、責任感や生産性を忘れて
ベッドでゆっくりしたり、自分の好きなことをするのが一番の治療になります。
それから、この期間を使って、会社や他人の価値観ではなく、自分の価値観に気づいてあげられると良いですね」
そんなコメントをもらいました。
あの時は、最後のこの言葉の意味が良くわかりませんでした。
あの時は仕事を頑張っていたし、仕事ができることが自分の価値だと思っていたから。
しかも仕事ばかりしていて、趣味や好きなことなんて、ありませんでした。
趣味を持つことすらもはばかられるような気持ちが生まれていて、それほどまでに自分を制限していました。
しかしそれからの生活は、誰かのためではなく、自分のために行動しよう、自分を甘やかそうと意識して行動するようにしてみました。
平日の銀座を散歩したり、お気に入りのカフェで本を読んだり。
最初こそ罪悪感が消えませんでしたが、だんだんと自分のために時間とお金を使う、自分を丁寧に扱う、そのことの意味に気づいていきました。
もちろんこの期間も、何もしない日もありましたし、1日中涙が止まらない日もありました。
ただ、できるだけそんな風に意識して、日々を過ごしていました。
そして休職期間が4か月ほど経った頃、私の異動が決定。
「もう前の上司とは一緒に働けません。」
私はカウンセラーの方にははっきりとそう伝えていました。
会社はちゃんと考慮してくれて、わたしと上司を物理的に離すために、わたしを関西勤務にしてくれました。
異動が決まった時は、もうあの環境に戻らなくていいんだ、と本当に心をなでおろす思いだったのを覚えています。
そして2020年2月、新しい職場に復帰。
幸いにも、ストレスや残業の少ない職場にあたることができ、上司にも恵まれました。
ただ、数か月前に失った自信はまだ取り戻せないまま。
営業での経験がトラウマになり、優しい上司にもビクビクしてしまう。
過去のメールを見返して不安になったり、意味もなく動悸がしたり。
そしてまた、仕事中に涙が出てくる。
心身ともに、完全に復活していたわけではありませんでした。
その頃、母親からメールで「ジムに通い始めたよ」との連絡。
すごいなあ、頑張ってるなあと思いつつ、正直あまり興味はなく。
その時もまずは、趣味とか、好きなことよりもまず先に仕事ができるようにならなきゃって心のどこかで思っていたんです。
この時はまだ、自分より他人、会社、仕事優先でした。
その後、1年半ほど経って、実家に帰って久々に母親に会うと、
前に比べてなんだか元気そう。
なんか細くなった?肌つやつやしてない?
母親「パーソナルジム、めっちゃ楽しいよ!
食事の知識も教えてくれるし、やっぱり運動してると気持ちが前向きになるよね。
痩せたから服のサイズが合わなくなって困っとるんよ~(笑)
体力もついたから、来月も友達と旅行行くんよ、楽しみ!」
嬉しそうに話す母親の姿は、以前とは全く違うものでした。
ものすごく、キラキラしている。
人生を楽しんでいる。楽しもうとしている。
それに対して自分は・・・
過去のトラウマを引きずり、何となく仕事をして、在宅勤務で体重増加。
精神的にはまだ不安定だし、意味もなく泣いたりするし、人生を楽しんでいるとは言えない状況でした。
「どうしたら自信を持って人生楽しめるようになるのかな?」
この命題は、ずっとずっと、私の中で考えていたものでした。
でも、復職してからもずっとその答えは見つけられず、自信もないままビクビク過ごしていたら、1年半も経ってしまっていました。
ボディメイクとの出会い、筋トレを通して自信を取り戻す
私はそんなだらだらとした状況と自分が本気で嫌になり、
「考えるのをやめよう。行動しよう。」
人生を楽しむ母の姿を見て、そう思いました。
とりあえずGoogle mapで近所のパーソナルジムを検索。
いくつかあるけど、うーん、ここは星4.5・・・
良さげなところがありました。
その日のうちにカウンセリング予約。もうここまで何も考えていません。
思考を停止して、ただ行動しただけ。
早速翌日、カウンセリングに行きました。
近所の小さなジムですが、トレーナーの方は会った瞬間に鍛えていることがわかるほど、大きな体をしていて。
ボディビルの大会に出ているような、プロの方でした。
カウンセリングの場では、ネガティブで自信のなかった私は、トレーナーさんの充ち溢れんばかりの自信とポジティブさに圧倒されそうになりましたが、
本気で変わりたい。
そう思っていたから、思い切って申し込みをしました。
2ヵ月で12万円。
ただの会社員である私にとっては、安い金額ではありませんでした。
でも私はどうしても自分を変えたかったのです。
その思いしかなかったです。
お金は後から稼げばいい。
でも、時間は取り戻せない。
人生で一番若い「今」というタイミングで、自分のスタイルや精神を向上させることができれば、そのあとの人生はずっと楽しいんじゃないかな?
そんな風に考えていました。
パーソナルジムに通い始めてから、主には食事と生活を変えました。
トレーナーさんに教えてもらった食材を中心に食べる生活に切り替えて、早寝早起き、水をたくさん飲んで、たくさん動くようにしました。
そうすると、私の体はみるみるうちに変わっていきました。
それはもう楽しくて楽しくて仕方がなかったです。
トレーナーの言うとおりにしていれば、私は何も考えなくても勝手に痩せるんですから。
考えることに疲れていた私にとっては、
「何も考えなくていい」ところが、本当に一番ありがたかったと思っています。
私はいわゆるぽっちゃり体型で、生まれてこの方ずっと161㎝50数kgをウロウロしていました。
留学から帰ってきたときには、最高62㎏になったこともありました。
学生の頃からそんな感じだったので、痩せていた時期、というのもありませんでした。
だから、「痩せている自分」がびっくりするほど新鮮で。
「トレーナーの言うとおりにすれば、太ももの肉って取れるんだな、、、すごい」
痩せてスリムになった自分の体を見て、プロの知識はマジですごいなと感じました。
それに、運動したあとはやっぱりめちゃくちゃ気持ちよくて。
自分なら何でもできるかもしれない。そんな気持ちになってくるんですね。
いわゆる全能感。この感覚が、快感になっていきました。
こんな気持ちを感じ始めてから、私の人生は好転し始めました。
何となく過ごしていた日々に、週2回のトレーニングの楽しみが加わって。
目的をもって食事をするようになって。
カロリー消費のため積極的に運動するようになって。
どんどん落ちていく体重と体脂肪率。
日々変わっていく私の体。
鏡の前に立つ回数が格段に増え、気持ちもどんどん明るくなっていきました。
実際に、2ヵ月で4kgほど体重が落ちた頃には
「こんなに楽しく努力できる自分って、もしかしたらすごいのかも」
「スタイルいいんじゃない?」
「自分結構イイ感じじゃない?」
そう思えるようにまでなっていました。
職場の人や友達からも、
「最近元気そうだよね!」
「なんか痩せた?足細くなったよね?顔も小っちゃくなった気がする」
「肌綺麗になったね!何したの?」
そんな風に声をかけてもらえるようになっていました。
私としては、自分のしたいと思ったことをちょっと勇気を出してやってみただけ。
期待はしていたけど、本当にこんなに短期間で、自分が変われるとは思ってなかった。
だから、自分が変わっていくその過程が、本当に楽しくて、本当に嬉しかったです。
ボディメイクを始めて一番大きな変化はやはり精神面でした。
確実に自分のことを前より好きになれたし、
「自分は自分でいいんだ」
心からそう思えるようになったことが、自分の中では一番大きくて。
自分を自分で受け入れることができるようになりました。
別に、私の人生なんだから他人にどう思われたっていい。
私は私で、自分の人生楽しむだけ。
私の人生の主役は私。
私は自分を大事にしてくれる人にしか興味はない。
筋トレを始めてからは、本当にそういうマインドで、生きられるようになったのです。
自分の人生に、ほとんど他人は関係なくなりました。(もちろんいい意味で)
他人の顔色を窺ったり、他人に言われたことや他人の目線を気にしたり。
今ではもう、そんなことは本当になくなりました。
私は20代のうちにこういう経験をして、早いうちに変われて本当によかったと思います。
だってこれからの人生、まだまだ楽しいはずだから。
ここまでが、私の過去の経緯でした。
このブログの理念
私のブログでは、
精神疾患で苦しむ人たちや、太っていることに悩んで自分に自信が持てない人たちに、
「あなたはあなたでいいんだよ。」
「でも、自分を良くする方法として、筋トレ、ボディメイクがあるよ」
「こういう風に考えれば楽になるよ」
そういうことを伝えていきたいと思っています。
私もかなり長い期間、自分の容姿と自信の無さに悩んできました。
何を着てもイマイチ。
何をしても自信がなくて楽しくない。
けれど、そういうマインドや外見は、自分の努力次第で変えることができるんです。
必ず人は変われるんです。
そのことを、覚えておいてほしいと思います。
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